2008年 06月 29日
大毎地下劇場
大毎地下劇場、毎日文化ホール。
懐かしい。
映画の勉強をするために、あの近くにあった、
写真専門学校に通っていて、
映画が変わるたびに、二つの名画座に「出席」してました。
いや、本当に懐かしかった。
特にあの広報誌を保管されているなんて。
これを機会に、時々のぞかせていただきます。
はじめまして。
コメントありがとうございます。
どちらの映画館にも「ご出席」されていたのなら
しまじろうさんもかなりの数の映画を
ご覧になっていらっしゃるんでしょうね。
私は最後の上映の「天井桟敷の人々」は、
お別れが悲しくて観にいけませんでした。
広報誌、捨てられないんです。
めったに見ることは無いんですけどね。
こんな感じでほぼ独り言のような内容ですが
よろしければ、またのぞいてください。
大毎地下劇場...懐かしいですね。
上記のしまじろうさんと、多分同じ専門学校に通っていたので(私は音響を勉強しておりました)よく観に行ってました。
そうそう...痴漢が出るともっぱらの噂だったので、いつも同級生の女の子と二人で通ってましたね〜...青春の一ページです。
これだけの大毎地下ニュースを残していらっしゃるなんて素晴らしいですね。
私は当時、この地下ニュースの下の部分の予定表を切り取って、財布に入れて持ち歩いていました。
貧乏学生には本当に有り難い映画館でした。
ちょっとお尻が痛かったけれど。
...とくに毎日文化ホール...。
懐かしい気持ちに浸らせてくださり、有り難うございました。
アクセサリー、素敵ですね。
またのぞかせていただきます。
はじめまして。
コメントありがとうございます。
続けて大毎のことをご存知の方から
コメントをいただけて
少しタイムスリップした気分です。
もしかして、どこかで大毎ブームが
きてるのでしょうか(笑)?
音響をお勉強されていた方なら、
あの映画館の音は・・・
ちょっと・・・ですね。
でも画面が乱れても音が割れても、
なんだか許せてしまう世界でした。
私は大毎2館の予定を
見るもの見ないもの関係なく
すべて手帳に書き写していました。
周りの友人達からは、
場所が偏りすぎた「ぴあ」のようだ、と
よく笑われていました。
なんだか堂島界隈をお散歩したくなってきました。
よろしければ、またのぞいてくださいね。
Nちゃんも大毎地下に行ってたのね!
昔は当たり前のように
近所の映画館でも2本立て(笑)が
あった気がするんだけど・・・。
私が初めて自分のお金で見た映画は・・・
アウトサイダーだったかな。
トム・クルーズもマット・ディロンも、ダイアンレインも
若かったわ。勿論私も・・・。
はじめまして。コメントありがとうございます。
あの辺りは色々なデザインの専門学校がありましたね。
映画館では、挨拶はしないまでも
なんとなく顔見知りの人もできて、
もしかしたら大阪デザインさんとも
席を隣り合わせていたかもしれません。
あまり込んでた記憶はないですが(笑)。
映画の前に近くにあったドムドムに寄ったり、
ワルツ堂をひとまわりしたりしてました。
そういえば、音楽をしている人から、何処を探しても無い楽譜が
ワルツ堂さんでは手に入る・・・と聞いた事があります。
あの頃からいつも満員のロシア料理の「鶴のす」さんは
多分まだあるのかな。
景色は変わってしまいましたが、
いまだにあの界隈を歩くとホッとします。
はじめまして。
コメントありがとうございます。
昔映画で見た映画館のシーンは、
まさにあの大毎の映画館のイメージで
いまだに大毎地下劇場を思い出すと、
きゅん・・・としてしまいます。
画面が乱れたり、音がわれたりする感じも大好きでした。
自分も白黒映画のワンシーンの一部のような気持ちがしていました。
地上の上がると華やかな時代の新地、
階段を下りるとなんだか古めかしい専門店街・・・と
本当に不思議な空間でした。
こちらこそ懐かしい思い出を共感させていただき、
嬉しい気持ちになりました。
ありがとうございました。